(昨日アップしたサンフランシスコ湾クルーズのアルカトラズ島の写真で
 長崎の軍艦島のコトを思い出してしまいましたので,
 2009年秋にアップした記事を一部改編して再掲載させてください)



長崎沖にある軍艦島

かつて海底炭鉱によって栄えた人工の島で,
今は立ち入り禁止の無人の孤島.

私がこの島のことを知ったのは,テレビのコマーシャルだった気もしますし
報道情報番組だった気もします.

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          最初その映像を見た時,恐怖を覚え,そして次に浪漫を感じました.



                住人は居なくて昔の街だけが残っている
                あたかも時の海を漂流しているかのような島.

                一時は世界一の人口密度を誇っていたのに,
                時が経って人々の記憶から忘れられていくだけの存在…




この島を船から見ることが出来ると聞いていたので,ずっと気になっていました.


そして今回調べてびっくり

条件つきながら,今は島に上陸できます

4月22日に35年ぶりに上陸解禁になったようです!

ただし海の状態に左右されるので,上陸可能確率は1/3以下らしく,
解禁から今まで40~50日くらいしか可能な日は無かったと言うことです.



この島は8年前まで三菱グループのものでしたが,現在は長崎市のものです.
そこで島に渡るためにはまず長崎市に誓約書を提出しなくてはなりません.

立ち入り可能な場所にだけ入るとか,勝手に触らないとか,何かあったら自己責任
とかの内容だったと思います.
ハイヒールやサンダルでは上陸禁止で,あと子供は入れません.

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続いて島までのアクセスですが,「やまさ海運」で午前と午後に一便ずつ船が出ています.

200人程度乗れる船ですが,完全予約制です.
運賃は,市へ払う上陸費用300円を含めて往復4300円.

私は前日予約で,午後便は満席だったので午前便にしました.
午前便もそれなりに混んでました.
スケジュールは島まで1時間,島内散策1時間,帰りに1時間といった感じです.

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船は長崎港を出て,新しい女神大橋の下を通っていきます.

女神大橋って随分たいそうな名前をつけて…
と思ったら橋の片側は女神って地名なんですね.

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廃墟の島が見えてきました!

ここは近頃一部で世界遺産への登録運動が行われ,
2009年1月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産暫定リストに記載されました.


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桟橋の風景だけは地中海の島の絵画ように見えました.

気温が30度と9月にしても暑い日だったので,船を下りるときには
 「水分を良く取るように,トイレはしておくように」(子供か!)
 「島内には自動販売機もトイレもありません」
と何度も放送がかかります.

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この灯台だけが新しいのです.
無人島になった途端に島の灯りが無くなりましたからね…

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ほとんどの地域が立ち入り禁止です.

現在上陸が許されているのは炭鉱施設のあった南東部のみ.
ただしすごい人気なので市は北東部(学校)側の見学も可能にしたいとか.

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島の周囲の防波堤は,のりで石を止めるという特殊な作りです.

この島の広さは出島6個分と言われましたが,長崎市民じゃないのでピンと来ません(笑)
そこで,言い直して東京ドーム1.3倍だとか.

元々は現在の3分の1ほどの面積しかなく,その後の工事によって拡張したそうです.
その埋め立ての外壁にこの特殊な技術が使われたのだと思います.


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奥は小中学校.最上階に体育館があったとか.

手前の不思議な柱たちは,石炭を運ぶベルトコンベアの名残です.

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上の写真を裏側(海)から見た姿.
巨大な廃墟です.

この辺で島の歴史をおさらい

今は長崎市ですが,昔は合併前の高島市に位置していました.

かつては海底炭鉱によって栄え世界一の人口密度を有していました.
(1960年には5267人の人口で,人口密度は83600人/km2で東京特別区の9倍以上!)

ここの炭鉱の出炭量は高島炭鉱より多く,
良質な強粘炭が採れるので日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つと言われてます.

しかしその後のエネルギーの近代化で,炭鉱はその存在意義を急速に失っていくのです.

1974年の炭鉱閉山とともに島民が島を離れ,現在は無人島になり,
今年まで35年間,この島への上陸は禁止されていました.

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炭鉱の跡地で,一緒に船に乗ってきたボランティアガイドの人が当時のことを説明してくれます.

実は私も炭鉱町出身.
親は炭鉱の人間ではありませんが,炭鉱労働者の家の友人も多く,
その中には当然数々の悲惨な炭鉱事故の被害者も居ました.


炭鉱労働者は気温30度,湿度95%という地獄のような地底の世界で仕事をします.
仕事の後に生きて地上に帰って来て風呂に入るのが楽しみなのですが,
この島では最初に入る風呂がべとべとする海水だったと言うのを知って同情しました.

すぐに石炭で湯が真っ黒になるので,炭鉱では順に入る3つの浴槽が必要です.

さすがに最後の浴槽だけはこの島でも貴重な真水が使われていたようで,
それを聞いて私は少しだけ安心しました.

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そして丘の上,炭鉱を見下ろすように炭鉱会社幹部の社宅が建っています.

そして実際炭鉱の中に入る労働者と幹部とは相当な身分の開きがありました.
この丘はどんなすごい天候でも,海に流されない場所です.


この島は南東に炭鉱施設があります.
ここも台風などの影響を受けにくい側です.

炭鉱は戦争時代含めて日本にとって一番大事なものでしたし,
これがないと島の存在意義がないと言われるほどのものでしたから
安全な南東側から掘ったり運んだりしたんだと思います.

一方,下の写真にある北西側の労働者の住宅地は,ある意味防波堤的役割もあったとか…
(人が死んでも炭鉱だけば守られればよい…)

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日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」(1916年建造)

狭い島に人がたくさん暮らすには上に伸びるしかなかったため,高層建築が古くから発展しました.
(鉄筋ビル自体は横浜が初)

この奥には映画館があります.
すごい人気で,映画は全国で一番早く封切り前にやっていたとか.

そのそばに
店舗・病院・寺院「泉福寺」(禅寺だがすべての宗派OK)・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・
社交場(スナック)などがあり,島内においてほぼ完結した都市機能を有していました.

それでも島の中の生活はやはり退屈で,
炭鉱労働者は毎週一度長崎の街に出るのを非常に楽しみにしていたらしいです.

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海から見る廃墟の高層ビル街.

炭鉱よりこちら側の景色が迫力があります.


実はこの島,正確には端島(はしま)と言います.

しかし,その外観から軍艦島の通称で知られるようになりました.

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この角度が最も日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとか.


最後に,この島で暮らしたことがあるボランティアガイドさんに聞きました.

「自分の出身地が世界遺産になるかもしれないと想像できましたか?」

答えは
「あはは…無理無理,世界遺産になんて成らないよ…」

と意外なものでした.

「だって,毎日島の建造物が朽ち果てて崩れていってるんだから…
 西側は波が強いので,たった一月前と比べても建物の様子が変わってしまっている.
 ここは今でも朽ちて崩れていくだけの島なんだよ…」


…この島に興味のある方はお早めの訪問をお薦めします.


(2009年秋の記事の再掲載です)